日本におけるカイロプラクティックの歴史
1930年代(戦前)
最初に日本にカイロプラクティックを紹介したのは、川口三郎DCであった。 彼は1930年代に渡米した十数人のアメリカ留学経験者の一人で、パーマー・スクール・オブ・カイロプラクティック卒業生である。 日本では脊椎治療が伝統的な治療方法であったので、カイロプラクティックの評判は良かった。
1945年に第二次世界大戦が終わるまで、非西洋医学療法は内務省の地方自治体が管理していた。 地域によっては、内務省管轄の警察がカイロプラクティックの免許を与えていた。
1940〜1950年代(戦後)
戦後、米占領軍が内務省を解体して、厚生省を作った。 新政策では脊椎矯正が禁じられたが、他の非西洋医学療法とともに、西洋医学でないということから非科学的であるという理由であった。 1947年、鍼灸、マッサージ、接骨などの伝統的な非西洋医学療法を認める法律が成立した。
1960〜1970年代
自然療法である電気、温熱、光線、刺激手技、など法律にふくまれない5種目は、法制化を目的に全国療術師協会を結成した。 多年にわたる法制化運動の結果、前記5療法の終身営業を認める法律が1964年に成立したが、法令には今後の新規開業に関する項目はなかった。
カイロプラクティックは二つの条件によって保護されている。 日本国憲法第22条は日本国民に公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を与えている。 さらに1960年、最高裁は、無害でかつ法律の定める職業の領域を侵さない限り、治療方法を施すことは合憲だと判断した。
1968年、アメリカのカイロプラクティック大学でDC(カイロプラクティックの学位)を取った戦後最初の日本人が帰国した。 続いてカイロプラクティックを合法とする有利な法的解釈もあって、カイロプラクティックを海外で学んだ多くの日本人が戻って開業するようになった。
カイロプラクティックの理論と技術に刺激を受けた接骨師、鍼灸師、マッサージ師などの手技療法施術者は、訪日した米国カイロプラクターの多くの技術セミナーに参加した。 その結果、熟練者や非熟練者まで幅広い施療者によって行われるようになった。
多くの手技療法施術者によってカイロプラクティックの技術が幅広く使われたので、カイロプラクティックは独自の治療法というより、新しい技術として認識されてしまった。
1980年代以降
80年代には、多くのカイロプラクティック団体が生まれたが、同時に期間1-3年の訓練プログラムを行う民間のカイロプラクティック学校もたくさん設立された。 1988年、厚生省は、全国療術師協会が設立した財団法人・全国療術研究財団を認可した。 この動きはカイロプラクティックなど非西洋医学の許認可問題について政府の意向を反映したものである。
カイロプラクティック施術者の評価については実に様々である。 日本の電話帳に載っているカイロプラクティックオフィスは800ある。 鍼灸、接骨や他の治療に付随したものとしてカイロプラクティック技術を使うカイロプラクティック施術者は3000から5000人はいるとみられる。 日本にはカイロプラックティック組織は少なくとも十数団体ある。
1991年5月、日本におけるDCの統一組織がつくられた(CCJ)。 また1992年11月、カイロプラクティックの主要12団体が集まって日本カイロプラクティック連絡協議会が設立された)
引用
カイロプラクティック総覧(エンタプライズ)
